はじめに
SDGs(持続可能な開発目標)は、2030年までに達成すべき17の目標として策定され、気候変動や貧困、不平等などの社会問題を解決するための指針となっています。私たちがこの目標に取り組む際、単に「良いことをしよう」という理想論にとどまるのではなく、現実的かつ実践的な視点が求められます。
この記事では、SDGsを深く理解し、社会の具体的な課題に対応するための「社会を起点にした思考法(社会起点思考)」のうち特に、未来から考える「バックキャスト思考」に焦点を当て、私たちのキャリアや日々の意思決定にどう結びつけられるかを探ります。サステナビリティ・リテラシーで不可欠な「長期的な視点を持つ」ためには、このバックキャスト思考が重要といえます。
世界の現状と未来の予測
まず、私たちが直面している現在の世界の課題を整理してみましょう。SDGsの目標設定には、現代の地球が抱える4つの重大な課題が反映されています。
1. 気候変動の加速
地球温暖化が進行し、異常気象が頻発しています。日本でも台風が強力化し、ゲリラ豪雨が増加するなど、気候変動の影響が顕著です。特に、海面上昇は深刻で、気候変動を評価する主要な国際機関であるIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書では、「人間活動が大気・海洋および陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない」とされています。もし地球の平均気温が2度上昇すれば、東京の一部地域が海に沈むリスクが高まると言われています。
2. 地球資源の限界
「プラネタリーバウンダリー(地球の限界)」という概念は、地球環境の持続可能な範囲を示す指標です。これには、気候変動、生物多様性の損失、土地利用変化、淡水利用など9つの要素が含まれます。2023年時点で、6つの要素がすでに限界を超えており、地球が持続可能な状態を保てるかが問われています。「アースオーバーシュートデー」は、私たちが1年間で消費する資源が、地球の再生能力を超える日を示しており、年々早まっています。全世界が日本人と同じ生活水準を享受すると、地球が2.8個必要だと言われています。
3. 世界人口の増加と日本の人口減少
世界人口は現在80億人を超えており、2050年には90億人から100億人に達する見込みです。発展途上国では中間層が増え、経済成長が進む一方、先進国では人口減少が深刻化しています。日本は2004年をピークに人口減少が始まり、超高齢社会に突入しました。2025年には団塊世代が後期高齢者となり、社会保障費の増大と労働力不足が避けられません。2050年には人口が1億人を下回る可能性があり、持続可能な経済システムの再構築が求められています。
4. テクノロジーの急速な進化
AIやデジタル技術の進化により、私たちの生活や仕事は大きく変わりつつあります。生成AIの普及は業務効率を向上させる一方で、新たな経済格差やデジタルディバイドのリスクも生んでいます。また、AIの発展はエネルギー消費を増大させ、環境への負荷を高める課題も浮き彫りにしています。持続可能な方法でテクノロジーを活用する取り組みが必要です。
社会起点思考としてのバックキャスト
これらの課題を見ると、現在の地球は持続可能とは言えません。SDGsはこれらの問題を解決するための目標ですが、実現するためには「バックキャスト思考」が重要です。バックキャストとは、将来の目標から逆算して、今何をすべきかを考える発想です。
バックキャスト vs. フォアキャスト
一般的には、現在の延長線上で未来を予測する「フォアキャスト思考」が使われますが、これは過去のデータや現状のトレンドをもとに未来を描く手法です。しかし、この方法では予測可能な範囲の未来にとどまりがちです。一方、バックキャストは「どんな未来を実現したいか?」をまず具体的に設定し、その未来から現在を見つめ直して行動計画を立てます。この思考法は、不確実性が高く急速に変化する時代に特に有効です。
なぜバックキャストが重要なのか?
バックキャストが重要である理由は、私たちの行動の優先順位を根本から変えるからです。フォアキャストでは、現在の延長線上で未来を予測し、今この瞬間に重要だと思われることを優先しがちです。このアプローチは、過去のデータや現在の状況をもとに未来を描くため、予測可能な変化に対応するのには適しています。しかし、昨今、目の前の未来ですら予測が難しいことが増えています。
たとえば、テクノロジーの急速な進化や気候変動の影響は、私たちの生活やビジネスに突然の変化をもたらします。フォアキャストでは、こうした不確実性に対応するのが難しく、結果的に短期的な利益を優先した行動に陥りがちです。一方で、バックキャストは、まず理想とする未来の姿を具体的に描くことで、長期的な視点での行動計画が可能になります。
また、バックキャストは、現状の枠にとらわれず、未来の理想を出発点とするため、イノベーションが生まれやすい思考法でもあります。既存の延長線上にはない「新しい発想」や「大胆な行動」が求められるため、未来を逆算して行動を計画することは、現状を打破する力を持っています。
視界を照らす懐中電灯としてのバックキャスト
緊急度と重要度の二軸で整理される「四象限マトリクス」をご存じでしょうか?このフレームワークは、タスクを「緊急かつ重要」「緊急だが重要でない」「重要だが緊急でない」「緊急でも重要でもない」の4つに分類する手法です。一般的には、「緊急かつ重要」なタスクが最優先とされますが、バックキャストの視点を取り入れると、「重要だが緊急でない」タスクにも目を向けることができます。
多くの企業や個人は、目先の課題に追われ、「緊急なこと」ばかりにリソースを割きがちです。しかし、長期的に見れば、未来を見据えた「重要なこと」に時間を割く方が、持続可能な成長につながります。バックキャストは、このような「重要だが緊急でない」タスクに光を当て、その優先順位を高める助けとなるのです。
現代の課題は、まるで暗闇の中を懐中電灯で足元だけを照らしながら進んでいるようなものです。目の前のタスクに追われるあまり、進むべき道を見失いがちです。フォアキャストでは、この懐中電灯の光は足元にしか届きません。しかし、バックキャスト思考は、遠くを照らすライトのようなものです。未来の目標が明確であれば、その目標に向けた道筋が見え、進むべき方向が定まります。
バックキャストの具体例
アポロ計画
1961年、アメリカは「人類を月に送り込む」という壮大な目標を掲げました。当時の技術では実現不可能と思われていましたが、未来の目標から逆算して必要な技術開発を進めた結果、1969年にアポロ11号が月面着陸を成功させました。ムーンショットとも言われており、この成功は、バックキャスト思考の力を象徴しています。
大谷翔平選手の目標設定
メジャーリーガーの大谷翔平選手は、マンダラートという目標設定ツールを用いて、「メジャーリーガーになる」というビジョンを実現しました。大谷選手は、まず未来の目標を具体化し、それに向けて必要なタスクを細分化し、日々の練習に反映させました。これもバックキャスト思考の好例です。
バックキャストを実生活に活かす
バックキャストに切り替えるための質問
バックキャスト思考は、ビジネスやキャリアだけでなく、私たちの日常生活にも応用できます。まず次のような質問を自分やチームに投げかけてみてください。
- どんな未来を実現したいのか?
「社会に貢献する仕事をしたい」「持続可能な生活スタイルを築きたい」など、理想の未来像を描きます。 - その未来に到達するためには何が必要か?
必要なリソース、技術、スキルをリストアップし、逆算して計画を立てます。 - 今、何を始めるべきか?
未来の目標に向けて、今すぐに取り組むべきアクションを考えます。小さな行動でも、それが未来への一歩となります。
家計の見直しと貯蓄目標
身近な例として「3年後に家族旅行のために100万円を貯める」という目標を考えてみましょう。この場合、フォアキャストであれば、今の収入や支出の状況をもとに「少しずつ貯金すれば達成できるだろう」と予測します。しかし、バックキャスト思考では、まず「3年後に旅行を楽しんでいる自分」をイメージし、そのために今から何をすべきかを逆算します。
ステップ1:未来のゴールを設定する
「3年後に家族と一緒にハワイ旅行を楽しむ」という具体的なゴールを描きます。
ステップ2:逆算してアクションプランを作成する
旅行費用の100万円を貯めるためには、毎月3万円ずつ貯金する必要があります。そのために、まずは支出を見直し、節約できる項目を洗い出します。外食の回数を減らしたり、サブスクリプションサービスの見直しを行うなど、今からできる行動を決めます。
ステップ3:定期的に進捗を確認する
毎月の貯蓄額をチェックし、計画通りに進んでいるかを確認します。もし達成が難しい場合は、貯蓄額を調整したり、臨時収入を貯金に回すなど、柔軟に対応します。
このように、バックキャスト思考を使うことで、単に目標を設定するだけでなく、具体的なアクションプランを立てることができ、短期的な無駄な支出を減らしながら長期的なゴールに向かうことができます。
まとめ:未来から現在を見据える視点の重要性
バックキャスト思考は、目先の課題に追われるのではなく、長期的な視野で未来をデザインするための強力なツールです。今の時代、予測不可能な変化に対応するためには、この未来志向のアプローチが欠かせません。
私たち一人ひとりが「どんな未来を描きたいのか?」という問いかけをし、その未来に向けた行動を今から始めることが、持続可能な社会を実現する第一歩です。企業においても、個人のキャリアにおいても、バックキャスト思考を取り入れることで、持続可能な成長と革新が可能になります。
次回は、SDGsの2つ目の本質である「トレードオフ」について詳しく掘り下げていきます。
名古屋大学大学院修了後、外資系電機メーカーでグローバル営業に従事し、アジア・アフリカでの日系企業の進出支援に従事。現在は合同会社エネスフィア代表および株式会社BrightのCSOとして、SDGsビジネスマスターや脱炭素アドバイザーなどの資格を活かし100社以上の中小企業支援に実績。さらに、BSIジャパン認定アソシエイト・コンサルタントおよびB Corp認証取得支援コンサルタントとしても活躍中。